小野郷はどんなところ

Regarding the Onogo

小野郷はどんなところ
小野郷について

小野郷について

小野郷は京都市北区の北部山間地にあり、京都市街を起点とする国道162号線を北上し、紅葉の名所として知られる高雄、銘木北山杉の名産地である中川を越えたところに位置しています。小野郷は、国道沿いに家が集まる「小野」地区と、田園風景が広がる「大森」地区の二つからなり、人口は150人ほどで面積は東京都港区より少し広いくらいですがほとんどを山林が占める自然豊かな山村集落です。

古くより木材、薪炭、松明などの供給地であったように林業が主幹産業の地域で、近年の高度経済成長期では北山杉の産地の一つとして栄え、今も整列した杉林や丸太の天日干し風景が見られます。京都市が指定・登録している有形文化財や寺社仏閣、旧跡が多く点在しており、街では見られない京都の歴史を感じる地域です。

小野郷の歴史

小野郷の歴史

小野郷は古代から中世にかけては山城国葛野郡に属する「小野山」と呼ばれることが多かったようで、朝廷の主殿寮が支配していたとされています。平安京遷都にあたっては諸材木の主要な調献地の一つであったと伝わります。

江戸時代には全域が仙洞(上皇)御料になって京都郡代(京都代官)の支配に属したとされ、近代に入ってからは京都府葛野郡小野郷村(当時は現在の中川学区に含まれる杉阪・真弓も村域であった)となったのち、戦後に京都市上京区への編入を経て現在の小野郷学区域になり、昭和30年に上京区から分区した北区に編入され現在に至ります。

小野郷の年表

~中世
古文書によると9世紀後半には、大森地区に数多の伝説が伝わる惟喬親王が東河内(現在の大森東町)に移られたとあるため、それ以前から小野郷地域には集落があったことが推測されます(平安時代の書物によると惟喬親王は桟敷ヶ岳に幾度も登られて懐かしい京都御所や河内の里を遠望されていたとされています)。 (*所説あり・以下の歴史書などからの出典による)
~中世
10世紀初めにまとめられた「延喜式神名帳」に記載のある官社とされている神社があること、11世紀初頭に紫式部によって著された「源氏物語」に登場する皇女を祭神とする伝承が地域に伝わることからもその時代には集落と神社があったことと朝廷と深い関係を持っていたことが示唆されます。 (*所説あり・以下の歴史書などからの出典による)
~中世
平安時代には一時期、加茂別雷神社(上賀茂神社)の神領に属したこともあったとされ、地域内の大森賀茂神社はこの時にその名称になったと伝わります。11世紀には小野郷の一部が上皇御所の「御続松料採所」として仙洞御料になっていたとされ、12世紀の古文書によれば天皇家の日用品管理や内裏の環境維持を司った主殿寮の領有となって「年預」(1年交替で実務を担当した役職)に統率されていたとあります。この「年預」のもとで、小野山供御人と呼ばれた住民たちは木材・炭(小野炭)・続松(松明)などを朝廷に供進したほか、朝廷の毎日の朝役、五月四日の菖蒲役、陣中掃除役、禁裏警護役なども負担していたとされています。小野山供御人はこれらの諸役を負担する代わりに関所の通行税や商売税などの諸賦課が免除されるなどの特権を有していたともあります。 (*所説あり・以下の歴史書などからの出典による)
近世
南北朝、室町、戦国と兵乱の続いた時代に小野郷は周辺武士の乱入、横領を経て織田信長や豊臣秀吉の時代に御料地の回復、江戸時代には全域が禁裏仙洞御料として京都郡代の支配に属することになりました。
近世
中古以来の伝統により、菖蒲役を奉仕したほか夏には小野川の鮎の献進、代々の天皇即位の礼には大嘗宮の御用材の調献、仙洞御所の行幸・還幸・葬送には青侍として供奉するなど朝廷との結びつきを強め、近代以降も一部奉公が残ったり、宮内省京都御料場として隣地の雲ケ畑と共に多くの天皇家や公家、高官をもてなしたりしたとあります。また、近世に入ると小野郷は小野(郷)十ヵ村と呼ばれていたようで、現在は隣の中川学区に含まれる真弓村・杉坂村、雲ケ畑学区内にあった出谷村・中畑村・中津川村の五村と、東河内村・西河内村・(小野)中村・(小野)上村・(小野)下村の五村を指していたとされています。
近世
古文書によれば東河内村・西河内村・中村の三村で「小野村」と称していた、安楽寺や大森賀茂神社(いずれも現大森東町)の神事や仏事はこの三村が合同で執り行っていたとあることからも、広い小野郷の中でもこれら三村は一つのまとまりをもって存在していたとされています。 (*所説あり・以下の歴史書などからの出典による)
近代
明治時代初期の廃藩置県により小野郷は京都府葛野郡となり、近世からの小野(郷)十ヵ村から雲ケ畑村、小野村、大森村の成立を経て明治22年に小野村・大森村・杉坂村・真弓村の四村が合併して京都府葛野郡小野郷村になりました。
近代
明治5年に発布された学制から間もなく明治7年には小野村戸長の日下部龍治郎氏が村民と協議して小野村小学校が創立され(現在の北区役所小野郷出張所辺りにあったとされます)、同時期には杉坂村小学校も創立されたとあります(現在の道風神社境内にあったとされます)。 (*所説あり・以下の歴史書などからの出典による)
近代
大森(村)小学校も創立され(現在の大森賀茂神社境内にあったとされます)、小野郷村となってからは小野村小学校が小野郷尋常小学校に、杉坂・大森のそれぞれの小学校は分教場となりました。また、明治29年には未曾有の大水害により小野郷尋常小学校舎が流失して翌年新築の尋常小学校が現在の旧農協の地に建てられた後、現在小中学校が立つ地に葛野郡第一高等小学校小野分教場を開くなど約30年の間に激動の教育充実が図られたことが学校史にも記されており、山深い寒村にそれぞれの分教場や尋常小学校、高等小学校を設立したことは村民の多大な苦労と村の将来を思う大きな気持ちがあったのではないかと綴られています。
近代
大正時代には真弓分教場も創立、昭和時代初期には大森分教場の増築や現在の小中学校の地に尋常小学校も移転し校舎が充実しました。昭和16年にはそれらが小野郷国民学校と改称され、多数の疎開学童も受け入れ戦時教育が行われていたとされています。
現代
終戦後、小野郷国民学校は小野郷小・中学校と改称され、昭和23年に京都市に編入となってからは京都市立小野郷小・中学校が発足し、小野地区と大森地区のみで小野郷学区を構成することになり明治初期から70年余りをともにした杉坂・真弓は分離して中川学区に編入となりました。当初は上京区への編入でしたが、昭和30年に北区が上京区から分区して成立、同時に北区を構成する学区の一つとなり現在に至ります。戦後の高度経済成長期には日本経済の発展に伴う住宅ブームにより北山杉の需要が高まり小野郷地域全体も北山杉の植林が多く行われ、地域の田園風景が一変しました。現在は北山杉の需要も落ち着き、小野郷小・中学校も休校と静かな山村集落として千年の京都の歴史の一遍を伝えています。
1687年
東山天皇の大嘗宮(応仁の乱以降役180年ぶりの再興)の御用材を供出したとされる。
1813年
後桜町上皇(令和7年度現在、最後の女性天皇)の葬礼御供に小野(郷)十ヵ村民が出仕したとされる。
1840年 
光格天皇の葬礼御供に小野(郷)十ヵ村民が出仕したとされる。
1874年
小野(郷)十ヵ村に含まれていた、上村と下村が合併して小野村とな          る。 当時の小野村戸長の日下部龍治郎氏が村民と協議ののち、 小野村小学校創立。また、杉坂村小学校も同年創立される。
1875
小野(郷)十ヵ村に含まれていた、東河内村・西河内村・中村が合併して大森村となる。同年、大森(村)小学校創立。
1883
杉坂郵便局が開設される。
1887
周山街道の工事開始。
1889
市町村制実施に伴い、小野・大森・杉坂・真弓の四か村が合併して小野郷村となる。また、小野村小学校が小野郷尋常小学校に、大森(村)小学校が大森分教場、杉坂村小学校が杉坂分教場と改称される。また、この頃に旧北桑田郡細野村(現右京区京北細野町)に通じる道路が開通する。
1896
小野郷尋常小学校が未曾有の大水害による被災を受ける。
1897
小野郷尋常小学校の新校舎が完成する。
1899
杉坂分教場が移転新築される。(道風神社境内から現材の杉阪公民館の地へ)
1900
隣の中川村(現在の中川地区に相当)と合議のうえ、二か村高等小学校創立。小野郷尋常小学校内の一部を使用して「葛野郡第一高等小学校小野分教場」として二年制の高等教育が開始される。
1901
葛野郡第一高等小学校小野分教場の校舎が現在の小中学校の地に新築される。
1902
周山街道が貫通する。(周山~小野~中川~梅ヶ畑) 第一回山林会総会が開かれ、京都府山林会の設立する。設立にあたり小野郷村と雲ケ畑村が大きな役割を担い、林業振興・改良が図られる。
1903
中川村高等科生徒が中川尋常高等小学校に移ることになり、葛野郡第一高等小学校小野分教場が廃止。同校舎は小野郷尋常高等小学校となる。
1907
小学校令中改正により、尋常科四年生までが分教場で学び、五年生以上は本校(小野郷尋常小学校・高等小学校)に通学することになる。
1908
旧大森村にあたる地域が京都御猟場となる。
1914
真弓分教場創立。
1915
大正天皇の大嘗宮御用材の供出。
1920
旧小野村域を中心に電燈の架設が始まる。
1928
昭和天皇の大嘗宮御用材の供出。
1929
小野・大森間に自動車道が開通する。小野郷村域に電話が開通する。
1935
現在の小中学校の地に尋常小学校が新築される。
1937
国鉄バス「京鶴線」(京都~美山町鶴ヶ岡)が開業する。
1941
小野郷尋常高等小学校が小野郷国民学校と改称される。このころ大森地区と真弓地区に電灯がつく。
1942
小野郵便局が開設される。(1946年に小野郷郵便局と改称される)
1945
都市圏の学童が集団疎開。小野郷村にも京都街中の学童が多数疎開。
1947
小野郷国民学校が小野郷小学校、高等科は中学校に改称される。それに伴い、小野郷育友会が発足する。
1948
京都府葛野郡小野郷村は京都市上京区に編入、小中学校が京都市立小野郷小中学校に改称される。(杉坂と真弓は中川学区に編入)
1949
京都市営バスが小野町内まで運行開始。
1953
大森分校舎(分教場)の増改築完成。国鉄バス「大森線」開通。
1954
小野郷小学校創立八十年記念式挙行。
1955
上京区より分区した北区に編入となる。
1960
台風16号来襲により清滝川氾濫、大森地区や小野下ノ町の家屋の多くが浸水被害に遭う。
1963
十数年ぶりの豪雪により国鉄バスが不通、小野から大森区間は1か月間不通となる。
1967
プール開き・学校給食開始。
1970
複式学級が解消され、本校六学級・分校三学級となる。中学校舎が新築される。大森分校舎でも完全給食実施。
1973
スクールバスが大森分校から本校まで運行開始。本校舎が増改築完了し、旧校舎の撤去作業が開始される。笠トンネルが開通。(旧京北町細野と小野町間)
1974
小野郷小学校百周年記念式典が挙行、「小野郷校百年誌」の発行、校歌が制定される。運動場拡充工事完了。
1979
小野郷中学校第1期卒業生による校旗寄贈。
1980
北校舎竣工。
1981
大森分校廃校。
1986
国鉄バス「大森線」廃線。
1994
小野郷小中学校の簡易水洗化工事完了。小野郷小学校百二十周年記念式典挙行。
1998
中川トンネル開通。小野郷中学校創立五十周年記念式典が挙行、記念誌「小野郷」が発行される。
1999
中学校でも完全給食実施。「小野ふれあい朝市」が初開催される。
2001
小野郷小中学校内「ふれあいサロン」開所。
2003
地元有志による「岩戸落葉神社ライトアップ」が初開催される。
2004
小野郷小学校百三十周年記念式典挙行。
2007
小野郷小中学校休校。小野郷自治会内に「小野郷地域まちづくり委員会」が発足する。
2011
市民農園(大森の里)が大森中町に開設。
2013
京北トンネル開通。
2014
北山三学区まちづくりビジョンの策定。北山三村HP開設。
2015
小野郷自治会内に「空き家対策チーム」が発足する。 デイサービスセンター「北山杉いこいの家」が小野宮ノ上町に開設。
2017
「京都市北部山間かがやき隊員」の派遣受入れ開始。
2018
小野宮ノ上町に「京都市田舎暮らし体験住宅」が開設。
小野郷の歴史
小野郷の歴史
小野郷の歴史
小野郷の歴史
小野郷の歴史
小野郷移住イメージ

まずは小野郷を感じてみませんか?

千年以上の歴史と豊かな自然に寄り添う里山暮らしをのぞいてみませんか?

地域案内や季節イベント参加を通じてまずは小野郷を知ってもらい、また訪れたいと思ってもらえることが一番の喜びです。小野郷暮らしを最長1年間体験できる住宅もございます。まずはお気軽にお問合せください。

小野郷の山々 小野郷の山里